2016/03/22

2016年3月22日 - 荻浜

牡鹿半島の石巻湾側中ごろにあるのが荻浜。震災前には県道を挟んで漁港までと山裾までの狭い区域にびっしりと家が立ち並んでいた。70戸に満たない集落だが、全てが津波で流され、2人が死亡している。元あった集落は瓦礫などが撤去され、更地になっていた。漁港はほぼ整備され、船の出入りも活発。養殖関係などはぼぼ震災前に戻ったような雰囲気。ただし、漁港に近い高台に建設予定の災害復興公営住宅は、用地造成中。入居にはなお時間がかかりそう。

県道沿いに、「宮城の牡蠣発祥の地」を伝え、牡蠣養殖を開発、普及させた沖縄県大宜味村出身の宮城新昌氏と宮城一族の功績をたたえる顕彰碑が建っている。さらに津波によって破損した旧石碑と、カキのモニュメントも設置されていた。宮城氏は、食生活ジャーナリストだった岸朝子さん(昨年9月死去)の父。岸さんは「栄養があって美味しいカキを、豆腐のように食べさせたいというのが、父の願いでした」と生前語っていたという。宮城氏が荻浜で開拓したカキは、種ガキとして輸出され、世界の海にいる80%はその子孫。

海岸に近い字葉山という高台に「羽山姫神社」がある。急な石段を200段余昇ると神社があるが、途中で断念した。例大祭では白装束の担ぎ手によってこの石段を神輿が下り、神輿は船で湾内巡行するという。昨年は9月が例祭。浜のにぎわいを見たくなった。

神社下の鳥居付近に石川啄木の歌碑がある。津波での被害はなかったようだ。「港町とろろとなきて輪を描く鳶を圧せる潮曇りかな」の歌は、明治41年4月26日、釧路から「三河丸」に乗船し海路上京の途中に、約5時間荻浜に立ち寄った際のことを、後に回想歌として詠んだという。もう一つ「漂白の人はかぞえぬ風青き越の峠にあひし少女かな」もある。

荻浜沖には戊辰戦争のときに、榎本武揚の艦隊が停泊した。榎本が上陸した折浜からは函館へ向かう戦士たちが乗り込んだという。新田次郎の小説「アラスカ物語」にも主人公安田恭輔が汽船会社の給仕として働いていた地が荻浜で、そこから石巻まで「竹馬で帰った」というシーンは深く印象に残っている。


写真は荻浜港。「宮城の養殖牡蠣」の歴史が分かる石碑など。カキのモニュメント。羽山姫神社の石段。啄木歌碑。







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